京都御所に行ってきました。
京都御所へのアクセス
京都御苑自体も自然いっぱいで時間があればゆっくりまわりたいところです。
いざ京都御所へ
清所門(せいしょもん)
京都御所への入り口です。
本来は御用聞きなど、あまり偉くない人が通る門とのこと。
道幅かかなり広いです。
お城なんかだともっと細かったり曲がりくねったりして侵入を阻んだりしますが、対照的ですね。
京都御所は火災が天敵だったようで、
これまで何度も火災に遭っています。
当時の建物は延焼もしやすいので、防火のためにこんなに広い道幅が設けられているとか。
清所門から京都御所に入ると簡単な荷物チェックの後、入門証を渡されました。
首にかけて、参観します。
10時半からのガイドを受けたかったので、集合場所の休憩所で待機します。
ロッカーもあって暖かくてほっとします。
宜秋門(ぎしゅうもん)
(ここからはガイドさんに案内してもらいました)
京都御所の正門にあたり、こちらは偉い人が通る門だそうです。
金色でかっこいいです。
5月に行われる葵祭でも平安貴族の行列がこの宜秋門から出発するんですね。
御車寄(おくるまよせ)
身分の高い人がやってきたときに使う玄関です。
諸大夫の間や清涼殿につながっています。
諸大夫の間(しょだいふのま)
こちらは正式な用件でやってきた者の待合室にあたります。
その身分に応じて入る部屋が決まっていて、奥に行くほど(清涼殿に近くなるほど)高い身分の人が入る部屋になります。
手前から「桜の間」「鶴の間」「虎の間」といって襖にそれぞれの絵が描いてありました。
畳縁(たたみべり)の色や部屋の入り方も違っていて、身分の差をしっかり表しています。
桜の間に入る人は自分で靴を脱ぎますが、鶴の間と虎の間に入る人は先ほどの御車寄(おくるまよせ)から入るようです。
新御車寄(しんみくるまよせ)
1915年(大正4年)に大正天皇の即位の礼を行うときに新設されました。
馬車でも入れるように作られていて、とても広々としています。
また、御所の建造物で唯一ガラス窓が採用されていて、照明も現役だそうです。
ちなみに、明治天皇、大正天皇、昭和天皇は紫宸殿で即位の礼を行い、今上天皇、上皇陛下は東京で行っているそうです。
紫宸殿(ししんでん)
京都御所の正殿です。重要な儀式の会場となります。
正面にある階段は18段あり、これは吉数である9の倍数だからです。
前に小屋みたいなものがあります。
紫宸殿の前には紫宸殿から見て左側に「左近の桜」、右側に「右近の橘」があるのですが、この時期は寒いので橘に仮設で覆いがつけられるそうです。
左近の桜の桜は「山桜」なのですが、もっと昔は梅だったのが当時の流行で桜に変わったらしい。
また、お雛祭りで飾る雛壇は紫宸殿をモデルにしているそうです。
承明門(しょうめいもん)だけ色合いが他の建造物と違って真っ赤なのですが、これは中国の様式だそうです。
この様式には邪気を払うという意味があるので、大事な紫宸殿を囲って守っているのです。
結界のような役割でしょうか。
現在は紫宸殿の中には高御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)が置かれています(実際に見ることはできませんでしたが、写真が展示されています)。
高御座は天皇、御帳台は皇后が座るものですね。
儀式のときなどに使うのでしょうか。
京都御所では、グレー色の屋根の建物(瓦葺(かわらぶき))と、茶色の屋根の建物(檜皮葺(ひわだぶき))があります。
当時は檜皮葺屋根がより位が高いとされていたので紫宸殿も檜皮葺屋根となっています。
錆びてしまう釘は使わずに作られており、日本古来・独自の技術でユネスコ無形文化遺産に登録されています。
ただ、火災に強いのは瓦ですので、御所の周りの貴族の屋敷などは瓦を使ったものが増えていったようです。
建礼門(けんれいもん)
京都御所の正門です。
建春門(けんしゅんもん)
門が多いですね。
こちらは皇太子の方などが使用する門だそうです。
春興殿(しゅんこうでん)
ここに三種の神器を置いたりしたそうです(現在は東京にあります)。
三種の神器は天皇と同じとみなされ、海外に行くときも持っていくとか。
清涼殿(せいりょうでん)
ついにこちらが清涼殿です。
紫宸殿とは用途が違って、天皇が日常的に(休息時に)過ごすところです。
よく見ると、清涼殿の中の中央から右側あたりに魔除けの獅子と狛犬がいます。
その手前には畳と座布団があって、ここを昼御座(ひのおまし)といいます。
ここが天皇の日常の御座となるのですね。
その右の部屋が寝室だそうです。
また御帳台の奥には3つ部屋があります。
左側の一角だけ床が板張りではなく、つるつるになっています。
これを石灰壇(いしばいだん)といって、外と同じとみなされる場所で、天皇は朝起きたらそこに直に座って伊勢神宮に向かって国家の安全平和をお願いするとのこと。
そのあと、おつきの人に体を拭いてもらって着替えて食事をとり、その日の儀式などのスケジュールを確認するようです。
小御所(こごしょ)
幕末の小御所会議はここで行われました。
徳川慶喜をどうするのが良いのか、メンバーには岩倉具視とか大久保利通とか、他数名が真夜中まで話し合いをしたそうです。
鎌倉時代の建築で、屋根が低く扉が上下で開ける形になっており、これまでのものよりも少ない人数で開閉ができるようになっています。
1954年に花火が燃え移って焼けてしまい、復元されたものとのことです。
(花火で?!本当に??)
御学問所(おがくもんじょ)
勉強するところかな?と思いますがそうではなく、行事で使われたそうです。
でも和歌の会や御読書始(おどくしょはじめ)など、知的な行事が行われていたみたいですね。
室町時代の建造で、書院造りになっていて畳が使われるようになりました。
先ほどの小御所よりもさらに屋根が低く、扉は左右開閉式で一人で開けられるようになりました。
御常御殿(おつねごてん)
江戸時代の天皇が生活していた御殿です。
かなり大きく、御所で最大の広さです。
御付きの人も一緒に暮らしており、部屋がたくさんあったようですね。
全て畳敷きです。
御涼所(おすずみしょ)
天皇がその名の通り、夏に涼むための場所です。
裏に川が流れていて涼しかったのでしょうね。
また、この奥にはひっそりと小さな建物があり、どうやら地震などの災害があったときにここに逃げ込むのだそうです。
御三間(おみま)
御常御殿(おつねごてん)に属するお部屋ですが、仏教的な行事を行うところです。
お釈迦様生誕まつりや涅槃会とか七夕もここで行われます。
御台所跡
京都御所は大きく、そこで働く人も多かったため大きな台所が必要でした。
しかし戦争時に爆弾を落とされて火事になることを避けるため取り壊され、現在は台所を忍ばせる井戸が複数残っている状態です。
最盛期には千人ほどの人がいたそうで、まかないが必要だったのですね。
写真はありませんが、ここから比叡山がちょっとだけ見えます。
当時の生活が垣間見える京都御所ツアーでした。